中判錦絵/歴代横綱

第13弾〜第24弾
中判錦絵とは
絵師が絵の具で一枚の原画を描き上げたものを機械奉書に印刷しました。

※こちらは「木版画」ではありません印刷になります※

→「中判錦絵」体裁詳細ページ
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隆の里 千代の富士
TAKANOSATO CHIYONOFUJI
第59代横綱
隆の里 俊英
青森県出身 二子山部屋
182センチ 152キロ
昭和58年(1983)横綱推挙。
おしん横綱と呼ばれ、糖尿病を克服しました。
チャールズ皇太子、ダイアナ妃が国技館に来られたとき、
館内で千代の富士と共に私の木版画のそれぞれ自分の
錦絵を贈呈されたことを思い出します。
引退され鳴戸部屋をおこし若の里、隆乃若など多くの関取
を育てました。稀勢の里が大関獲りの場所前に急逝され
ましたが天国から新大関の活躍を見守っていることでしょう。
第58代横綱
千代の富士 貢
北海道出身 九重部屋
183センチ 121キロ
昭和56年(1981)横綱推挙。
函館から車で1時間半の松前の福島町生まれ、津軽海峡の
荒波を漁船に乗っていた少年時代。
千代の山の九重親方に、飛行機に乗せてやるといわれて
角界入り。肩の脱臼ぐせを筋肉の鎧で固め、大関3場所で
横綱に上り詰めた大横綱。
北海道の福島町に記念館があり、そこのオープン前に何度
か通って壁画やグッズ等、多くの絵を描きました。
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平成23年12月制作
吉葉山 鏡里
YOSHIBAYAMA KAGAMISATO
第43代横綱
吉葉山 潤之輔
北海道出身 高島部屋
179センチ 143キロ
昭和29年(1954)横綱推挙。
昭和29年初場所、全勝優勝でボタン雪の中のパレードは
劇的な絵のようで、私が小学2年のときでした。吉葉山の
不知火型の美しい土俵入りに魅せられ“東京都高島部屋”
だけの住所で手紙を出してサインをお願いしたら、万年筆で
吉葉山潤之輔と書かれたハガキが届きました。神棚に
.ハガキを貼り下げ、取り組み前にお祈りしていましたが、
怪我病気で横綱での優勝はならず、悲運の横綱と呼ばれ
ました。
第42代横綱
鏡里 喜代治
青森県出身 時津風部屋
175センチ 165キロ
昭和28年(1953)横綱推挙。
最初の青森県出身の横綱。
見事な太鼓腹で、子供のころに映画館で観た白黒の
映画ニュースで、痩せ蛙のような鳴門海との一番が記憶に
焼きついています。
温厚な人柄で、引退後は立田川部屋を創設。
協会理事を務め、定年後80歳まで長生きされました。
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平成23年11月制作
西ノ海(二代)
NISHINOUMI-U OTORI
第25代横綱
西ノ海 嘉治郎(二代)
鹿児島県出身 井筒部屋
185センチ 140キロ
大正5年(1916)横綱推挙。
種子島生まれ。14歳で180センチを超える大男だった
という。初土俵は33年で二十歳近くになっていた。
四つに組んでじっくり攻める堅実で地味な相撲だった。
43連勝中の太刀山をはたきこみで止めている。
引退後は協会の要職について三代西ノ海を育てた。
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第24代横綱
鳳 谷五郎
千葉県出身 宮城野部屋
174センチ 115キロ
大正4年(1915)横綱推挙。
千葉の印西市の生まれ、父は滝田川という草相撲の大関。
15歳で宮城野部屋に入るも、背が低くて協会の検査で
落とされ、1年後にお情けで入れてもらう。
「ケンケン」というかけ投げで一世を風靡。男っぷりと派手な
相撲で大関時代は人気沸騰だった。27歳で横綱になった
のは、当時の最年少記録。俳優の滝田栄の大叔父。
平成23年10月制作
朝潮 前田山
ASASHIO MAEDAYAMA
第46代横綱
朝潮 太郎
鹿児島県出身 高砂部屋
188センチ 135キロ
昭和34年(1959)横綱推挙。
神戸生まれだが、両親は徳之島出身。
太い眉と胸毛、胴長で骨太の体型で
ニワトリを鳥小屋に追い込むような取り口。
3年連続で三月場所に優勝、大阪太郎の愛称も。
前の山、朝潮、高見山、冨士桜、小錦などを育てた。
第39代横綱
前田山 英五朗
愛媛県出身 高砂部屋
180センチ 116キロ
昭和22年(1947)横綱推挙。
15歳で高砂部屋に入門し、初土俵。
十両直前で稽古で右腕を強打し、骨髄炎に。
前田医師に手術を受け奇跡的に治癒。
激しい気性で強烈な張り手で双葉山もやぶる。
休場中に日米野球観戦し報道され引退に追い込まれた。
平成23年9月制作
西ノ海(三代) 宮城山
NISHINOUMI-V MIYAGIYAMA
第30代横綱
西ノ海 嘉治郎(三代)
鹿児島県出身 井筒部屋
183センチ 115キロ
大正12年(1923)横綱推挙。
同部屋から同県人、同名の横綱が3人出たのは
西ノ海が初めて。
肌が浅黒く、怪力から黒仁王のあだ名で呼ばれる。
「待った」が30分も立ち上がらないことも。お客さんは
西ノ海が土俵に上がると、用足しに席を立ったという。
第29代横綱
宮城山 福松
岩手県出身 高田川部屋
175センチ 113キロ
大正11年(1922)横綱推挙。
大阪相撲最後の横綱。岩手県一関生まれ。
14歳で出羽海部屋に入門したが、3年で郷里に戻り、
半年後に大阪相撲に。一関は江戸時代には、
仙台伊達藩の領地だったので、宮城山のしこ名を
名乗る。昭和2年、東西の協会が合併し両国国技館の
土俵に上がり優勝。大阪相撲の面目を見せ付けた。
平成23年8月制作
西ノ海(初代) 若島
NISHINOUMI-T WAKASHIMA
第16代横綱
西ノ海 嘉治郎(初代)
鹿児島県出身 高砂部屋
176センチ 127キロ
明治23年(1890)横綱推挙。
少年時代から草相撲で活躍し、18歳で京都相撲に入門。
26歳で東京の高砂部屋に移り、梅ヶ谷引退から5年ぶり
で横綱に。番付に横綱と初めて表記される。
泉川にきめて出す怪力の持ち主だった。
41歳で引退。井筒部屋を再興し、二代目西ノ海など
名力士を育てた。
第21代横綱
若島 権四郎
千葉県出身 中村部屋
178センチ 115キロ
明治38年(1905)横綱推挙。
市川市で生まれ、4歳で深川の八百屋に養子になる。
14歳で初土俵。24歳のとき、脱走し大阪相撲に入門。
30歳で初の大阪相撲の横綱に。
流行の自転車に乗り、転倒して頭を強打し、
土俵入りも頭にひびくようになり33歳で引退。
平成23年7月制作
大砲 小錦
OZUTSU KONISHIKI
第18代横綱
大砲 万右衛門
宮城県出身 尾車部屋
197センチ 134キロ
明治34年(1905)横綱推挙。
白石市で生まれ、怪力で知られ15歳で入門。
2m近い長身で相撲はうまくはなかったが、32歳で横綱に。
梅ヶ谷に「横綱は負けるものではない」と言われ、受け
止めて負けない相撲に徹したので引き分けが多かった。
最後の場所は、9戦全引き分けという珍記録を達成、
「分け綱」とも呼ばれた。
第17代横綱
小錦 八十吉
千葉県出身 高砂部屋
168センチ 128キロ
明治29年(1896)横綱推挙。
横芝町の料理屋に生まれる。太っていたので14歳で
高砂部屋に入門するが、荒稽古に逃げ出し、17歳で
再入門。28歳の若さで横綱になる。
立合いから一気に突っ張って勝負を決めた。
色白で「白象の狂えるがごとく」といわれた。
錦絵も売れ、小錦織りという反物まで発売された。
平成23年6月制作
不知火 秀ノ山
SHIRANUI HIDENOYAMA
第8代横綱
不知火 諾右衛門
熊本県出身 浦風部屋
176センチ 132キロ
天保11年(1840)横綱推挙。
細川藩の郡役人の子。16歳で父の後を継いで役人となる。
23歳で大阪相撲の湊部屋に。江戸に入っても出世は遅く
37歳で入幕。40歳で横綱を許され、44歳で引退。
引退後は大阪に戻って湊部屋を継いで不知火光右衛門を
育てた。
第9代横綱
秀ノ山 雷五郎
宮城県出身 秀ノ山部屋
164センチ 150キロ
弘化4年(1845)横綱推挙。気仙沼出身。
歴代横綱の中で最も低い身長。気仙沼の銅像が
大津波にも流されずに海に向かって手を突き出して
残った事で復興の象徴とされています。
16歳で江戸に出たが背が低いので相撲取りになれず
仙台に戻り魚屋に奉公。20歳で成田山にこもり
願をかけて江戸の源氏山の部屋に入門。
30歳で入幕、盛岡藩のお抱え力士に。
38歳で横綱になり、引退後は陣幕久五郎を育てた。
平成23年5月制作
若乃花(初代) 栃錦
WAKANOHANA-T TOCHINISHIKI
第45代横綱
若乃花 幹士
青森出身 花籠部屋
179センチ 107キロ
昭和33年横綱推挙。
弘前市生まれ。りんご園が台風で全滅し6歳のとき
室蘭へ移る。小学を出て港湾で重労働をして家計を助け
このとき強靭な足腰が鍛えられた。21年に二所ノ関
一門の巡業に飛び入りで出て、大ノ海に認められ
上京し、二所ノ関部屋に入門。
「カカトに目がある」と言われたほど土俵際が粘っこく
「呼び戻し」は仏壇返しと呼ばれ、見事な投げ技を決めた。
100キロそこそこで栃錦と戦後の日本中に復興の勇気を
与えてくれました。
第44代横綱
栃錦 清隆
東京都出身 春日野部屋
177センチ 132キロ
昭和29年横綱推挙。
東京の南小岩生まれで祖父の家業は蛇の目傘造り
でした。
土俵上では仁王のような顔になりマムシと呼ばれ、
大内山を首投げで投げ飛ばしたり、若乃花戦では
元結が切れてザンバラ頭になっての、ものすごい
戦いぶりはファンを沸かせました。
両国国技館こけらおとしの時に、大相撲錦絵の許可を
出してくれた縁もある、温厚篤実な理事長でした。
平成23年4月制作
大鵬 柏戸
TAIHO KASHIWADO
第48代横綱
大鵬 幸喜
北海道出身 二所ノ関部屋
187センチ 153キロ
昭和36年横綱推挙。
樺太生まれ。終戦で父と別れ引き揚げるとき、母親が
船酔いで稚内で下船。その船は留萌沖で魚雷で沈没。
神様に生かされた納谷少年は道東の弟子屈町川湯に
住みます。私の高校の6級先輩です。関脇時代に町の
神社の土俵で若い者に胸を貸したこともありました。
今度の大震災の募金活動で街頭に車椅子で参加され、
引退後も慈善活動は現役続行中です。
第47代横綱
柏戸 剛
山形県出身 伊勢ノ海部屋
188センチ 140キロ
昭和36年横綱推挙。
剛の柏戸、柔の大鵬の昭和30年代後半から40年代半ば
まで相撲ファンを二分した柏鵬時代が続きました。
私が中高時代から上京して家庭を持ったころに横綱でした。
山形出身では唯一の横綱。攻め一方の相撲ぶりと純朴さで
ファンも多かった。
平成23年3月制作
梅ヶ谷(初代) 境川
UMEGATANI-T SAKAIGAWA
第15代横綱
梅ヶ谷 藤太郎(初代)
福岡県出身 玉垣部屋
176センチ 105キロ
明治17年横綱推挙 。明治初めの天下無敵の強豪力士。
天覧相撲に横綱免許が下りるので伊藤博文の自宅に
呼ばれた際、梅ヶ谷は「貧乏暮らしで、土俵入りの
三つ揃い廻しも紋服もないので・・・」と断ったというが、
これらを伊藤が用意してやり、天覧相撲は大成功。
錦絵に描かれ、相撲人気は一挙に盛り上がったそうです。
協会のトップとして、明治42年に落成した両国国技館の
建設に尽力。引退後も大雷と尊称で呼ばれた程でした。
連勝記録も58連勝の大記録を残しています。
池上本門寺に2代目梅ヶ谷と共に墓があります。
第14代横綱
境川 浪右衛門
千葉県出身 境川部屋
169センチ 130キロ
明治10年横綱推挙。
身長は歴代横綱の中で秀ノ山164ンチ、2代目梅ケ谷と
小錦の168センチについで小柄だったが、かた太りで
相手に力を出させてからしとめるという横綱相撲をとった
そうです。
両国から舟を出して隅田川で茶の湯を楽しんだり、
風流人でもありました。
平成23年2月制作
大木戸 太刀山
OKIDO TACHIYAMA
第23代横綱
大木戸 森右衛門
兵庫県出身 湊部屋
178センチ 125キロ
神戸生まれで大阪相撲二人目の横綱。
吉田司家が横綱の申請を許可せず、大阪の協会は
大木戸を横綱に推挙して奉納相撲までやったので
司家が激怒し大阪の協会を破門しました。
大正元年に和解の後、司家は横綱免許を出しましたが、
翌年4月に脳溢血で倒れ半身不随となってしまいました。
横綱として実績がほとんどないため化粧まわしの図柄
の確認に苦労しましたが、資料協力をいただけまして
描き上げることが出来ました。
第22代横綱
太刀山 峰右衛門
富山県出身 友綱部屋
187センチ 140キロ
明治44年に横綱免許を受ける。明治43年1月から
45年1月に西ノ海に負けるまで43連勝し、そのあとも
大正5年5月場所に栃木山に負けるまで56連勝という
偉大な記録を残し、谷風に次ぐ負けない横綱でした。
この化粧まわしは大阪商船から贈られてポスターにもなり
ましたが、地球の上に乗った太刀山が右足でアメリカ大陸
を踏んづけていたので当時物議をかもしたそうです。
還暦の土俵入りもこの化粧まわしに赤い綱を締めました。
平成23年1月制作

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