白鵬 翔(はくほう しょう)

(C)daimon

1985年3月11日モンゴル出身。宮城野部屋。本名ムンフバト・ダヴァジャルガル。192cm、154kg、A型。
相手の力を吸収してしまうというブフの横綱の父親譲りの肉体と優れた品格を所作に見せる期待の星です。



’06 伊之助披露パーティー



会場で北の湖理事長、大鵬の納谷館長に挨拶。大鵬さんのサインをしっかりチェックしていました。

06 大相撲最強決定戦

6月11日に行われた花相撲でしたが、白鵬が優勝しました。

白鵬の背中がいい がに股が安定感がある

塩をまく後姿も背中がいい しきりに入るとき、腕を前に投げ出すしぐさ


優勝したあとの嬉しそうな笑顔が印象的でした



’06 夏場所


雅山戦


把瑠都戦


琴欧州戦


安馬戦



’06 春巡業


新大関には水をつける人が多くて大変です。



’06稽古総見

怪我をしている両大関は土俵の下で摺り足の調整に集中。



’06 春場所千秋楽

千秋楽の前日にウランバートルから大阪に駆けつけた両親と姉たちの見守る土俵。
皮肉にも一門の大先輩大関魁皇の勝越しか大関陥落がかかる本割での対決となる。
館内は多くのモンゴル人が詰めかけてモンゴルの旗が振られ、熱気と興奮で経験したことがない楽日となりました。
異国での格闘技を仕事にした息子と母国で英雄の父。
息子が魁皇に敗れても笑顔で拍手する母。親子の愛を感じる熱い難波の千秋楽でした。


父はモンゴルの横綱の正装で来場
母も姉たちもモンゴルの衣装での
観戦でした
場所入りの白鵬

白鵬の父ムンフバト氏はモンゴル相撲ブフの
横綱の中でも数人しかいない大横綱で、
オリンピックのレスリングの銀メダリストという
国民的英雄。
朝青龍の父はブフの関脇だったが、息子の
ダグワドルジが日本で横綱になり、その兄は
ブフの横綱になりました。
白鵬が父に並んで22歳で横綱になれるか
どうか注目されます。モンゴルから日本に
持ち込まれた親子二代の因縁となります。
Tシャツにサインを求められる父

魁皇戦

大関のかかった白鵬は14日目まで1敗で朝青龍と並走。優勝するには千秋楽の一番は負けられない。
家族がモンゴルから観に来ている。偉大な父の前で大関と優勝を決めたい。
相手は一門の尊敬する魁皇だ。この場所負け越せば大関陥落となり引退の危機。
魁皇は7勝7敗で相撲人生をかける一番となりました。

家族(左上)の視線を受けて静かにそんきょする

見事な塵を切る

モンゴル国旗が振られる中を父は・・・

視界の中に父を、母を、姉を感じる

白鵬は守勢にまわって 力を出せずに寄り切られた


母は勝った魁皇にも笑顔で拍手を送る


魁皇は勝ち越した 無念のこの背中ですべてを語っていた


朝青龍vs栃東


横綱が勝てば優勝が決まる結びの一番。栃東が深く差して上体を起こして朝青龍を寄り切って意地を見せた。


どうだ、と栃東

そのとき・・


座布団が飛んでくる中をこの笑顔
横綱が敗れた瞬間、館内は爆発
わが子が弟が、決定戦に出られる 心からの嬉しさが笑顔に

優勝決定戦までの10分の間、館内は熱気で包まれていた。


多数のモンゴル人が会場に
観戦に来ていて祝福を受ける父


優勝決定戦

父は両手のひらの間に気を入れる モンゴルの親の代からの因縁の対決


笑顔の母、黙する父、はらはらの姉たち
母のほうが気丈に笑顔を

祈る

横綱が白鵬の家族を感じる
両雄の堂々たる塵の切り方 だんだん下を向く父
白鵬の全身がみるみる赤く染まってきた

父も母も姉も祈った


そして、家族の前で白鵬は敗れたが、13勝2敗で大関を射止めた。


白鵬が出るところを渾身の下手投げ、モンゴルの先輩横綱の意地だった


'06 初場所


朝青龍戦



白鵬の塩まき

琴欧州戦


’05 横審稽古総見 

横綱と申し合い




’05 春巡業

横須賀場所で栃乃洋を破り優勝。



’05 初場所



千代大海戦


柔軟な体
         
がに股が踏ん張りに効果を発揮する 背中の筋肉がすばらしい
この後姿



場所入り

本場所の場所入りは染め抜きなど、よそ行きの装束になります。




’04秋 花相撲

支度部屋で床山さんから大銀杏をゆってもらう 十代とは思えない落ち着きがある



花相撲では場所入りも浴衣姿でリラックスして入れます。



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